500系の事について

JR 西日本には1997年から使われている車両、500系がいます。それの歴史についてできるだけ分かりやすくまとめていこうと思います。また、win350には、特に触れません。f:id:tuzuroku5423:20200818185847j:image

画像はwikipedia より(今後はURL のみ添付)

500系の誕生のきっかけ

500系は1996年にJR 西日本(これから西と略)

が開発した車両です。何故開発したかというと、西は飛行機対策に速い車両が欲しかったからです。320km運用が出来るように設計されました。西は合計で9本製造しています。編成記号はwが与えられ、1997年3月22日のダイヤ改正で登場、新大阪~博多間を最短2時間17分で結びました。現時点で最速?ののぞみ64号は新大阪~博多間2時間19分と僅かではありますが500系の方が勝っています。また、後述する事情により300km運転と目標よりは低くなっています。

500系の特徴など

500系といえばあの長いノーズが特徴的です。高速化には騒音がつきもの、トンネルに入る時のトンネルドンをできるだけ防ぐために長くなって、その影響で、乗務員扉の横には、扉がないなどの問題があります。f:id:tuzuroku5423:20200818185924j:image

http://www.educ.city.ibaraki.osaka.jp/tenno-j/club/15pc/san/shashinkan/JR500.html

また円形にしたということもあり他の新幹線と比べると少し変わった形をしています。また、東海道山陽新幹線の前の300系と変わっており、全ての車両を電動車にしているということをしています。これは、0系などに次ぐ技術で、これにより出力を強力にしています。速く走行する際は軽量化が必要になってくきます。このとき剛性を強力にすると重量が増えてしまい、剛性を弱くすると安全性が保たれないことからアルミハニカムパネルというものを使っています、これがコストが高いことから、全編成は300系より6億円ほど高くなっているいるため、博多~新大阪の半分の、のぞみを担える9編成しか製造されませんでした。また、翼型パンタグラフという、フクロウの翼をヒントにした、今までにないパンタグラフを採用しました。


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http://www.educ.city.ibaraki.osaka.jp/tenno-j/club/15pc/san/shashinkan/JR500.html

 

500系とJR 東海

西の事ばかりですが、500系を語る上で忘れていけないのがJR 東海。JR 東海が、東海道新幹線を担っているということは、言わずと知れた事ですが、500系を嫌っていたとよく言われています。その根拠です。

 

500系は、300系より定員が減らないように要請してたので、定員が減らないように無理やり座席を詰めこんだために、窮屈な空間になった。

 

・ダイヤが乱れた際に本来の予定では使用する予定でなかった車両が充てられるときに編成座席が異なっている場合、指定席を取っている客には席が違うことにより手間がかかる。

 

・前述したドアが前後の乗務員室扉付近にないこと、500系が300キロで走行可能といっても、山陽新幹線内のみで、東海道新幹線では300系の最高速度と同じ270キロに抑えられている。

 

N700系が導入されたことでわざわざ直通のぞみに500系を充てる必要がなくなったこと

 

これらが500系が東海に嫌われて、東海道新幹線から追い出されるのが早かった原因と言われています。

500系の晩年まで

500系は2010年に東海道新幹線から撤退、これにより改造が施され、500系は320キロを出せる設計ですが、305キロに、最高速度は、300キロから、285キロに抑えられてしまいました。また、先ほどので、320キロ運転が出来なかったのは阪神淡路大震災の時で、出来るだけすぐに停車出来るように余裕を持って300キロとなりました。w編成はw1編成のみが廃車になり、先頭車は今も京都鉄道博物館で展示されています。他の8編成はw を半分にしたv編成になりました。ただし途中でv6編成が廃車。これにより2020年8月時点で残り7編成となっています。ちなみにv6編成は博多総合車両基地に連結カバーを外された状態で現時点でも留置されています。v2編成はプラレールエヴァハローキティなどになり、全ての編成に模擬運転台があります。以上で簡単てすが、500系の紹介を終わります。